又吉 千恵子の日々是好日

日常の気づきを徒然なるままに
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メッセージ

メッセージ 先日心友のロミさんこと中野裕弓さんの家へお邪魔していいた時にロミさんの10年来の心友である 日木流奈くんがご両親と共に遊びにいらしてました。
ルナとは月という意味。。そしてご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、脳の障害を持って生まれてきましたが、ドーマン法という脳の機能を回復する為に行われる方法で、文字版を使ってコミュニケーションができるようになりました。
お母様がその文字盤で指した字を読んでいくのですが、8歳頃にはとても子供が言っているとは思えない悟った言葉の数々が飛び出し、それが反響を呼び、本が出版されテレビでも取り上げられました。
私も8年前位にルナ君の本を読みとても感銘を受けたものです。。それがお会いできるなんてとても光栄でした。。
ルナくんは今では立派な21歳の青年。。最近ルナ君が書いたエッセイをお母様が見せてくれました。。久しぶりに読んだルナ君の文章。。とても素晴らしく貴重なのでご紹介しますね。。

月影の詠  日木流奈

日々、放射能と向き合うという事はどんな思いなのだろう。。見えない恐怖との戦い。。しかしその話をしない訳にはいかない日々。。
それを他人事だと思っていた人々にも、日々次々と襲いかかる恐怖。そこに住んでいないからといって決して他人事ではないのだと、何度も何度も思い知らされる。野菜の汚染、干し草の汚染、それを食べた牛の汚染、土壌は放射能が染み渡り、地下水も飲めなくなるかもしれないと言う人もいる。。
空は?海は?土は? どれもこれも心配だらけだ。。時間と共に出来事は風化し、その大変さは日常と化し、危険性は変わらないというのに、問題がなかったようになっていくのではという不安。。当事者にとって、これほど大きな不安はない。
八月になると毎年、戦争の話が繰り返される。原爆が落ちた日や終戦の日には特に繰り返される。。。重要な事だ。
それを伝え続けなければという人々の祈りが、たぶんそうさせるのだと思う。それは欲得から遠く離れたものだ。
伝え続けることはけっこう難しい。。原発の危険性をずっと訴え続けて来た人たちがいる。国が安全だと言っても、その危険性を知り、権力に屈せずひたすらに伝え続けた人々がいる。
利権がかかわる人にとって、そういった人は邪魔な人でしかない。。人の道として正しいことを貫こうとすると、かなりの犠牲が必要なときもある。
全ての出来事は、知らなかったで済む問題ではないのた。無知ゆえに人はひとを簡単に傷つけることができる。
公害の問題が起きたとき、それがその町にある工場のせいだと確定されるまでには時間がかかった。。明らかな因果関係もお金や権力に握りつぶされていった。
しかし何より、その町でその工場で働く人々が多かったというのが、問題を問題にされづらかった大きな原因であろうと思われる。
初めからその工場のせいだと言っていた人たちは、町の人達に嫌がらせをされたりしていたと聞く。
もちろん、人をむやみに疑っていいとは言わないが、人間としてやってはいけないことを平気でする人々をそのままにしておくというのは、どうかと思う。自分達の家族がそこで働いているからといって。。
欠陥住宅を平気で売る人たち。。自国では売れないからといって他国に持ち込んで、自国では禁止されているものを売る人達。。
今でも平気でそういったことが起きているのだ。。私達はそれらのことを本気で知ろうとしているだろうか。。
界面活性剤が環境に良くないと知っていながら洗剤を使い、食べ過ぎたといってダイエットをし、無駄な物を買い、無駄な物を貯め、そして使わずに捨てる。。それをしている我々は本当に善人と言えるのだろうか?人間がいかに業の塊であることか。。
そして、そういう人に限って、自分たちは何も悪い事をしていないと平気で言い放つ。。。私達は知らなければならない、自分たちがいかに無知であるかを。。
そして学ばなければならない、感謝の思いと、謝罪する気持ちを。。ありがとう。。ごめんなさい。。そして愛しています。。
愛を持とうとするためには、ありがとうとごめんなさいの思いがなければ始まらないのだ。。
そして愛を貫くためには、それを実行し続ける勇気が必要なのだ。。
福島原発の事故は、これでもかこれでもかというように、日々、問題を提示し続ける。。私達の傲慢さを見抜き、私達が本当の愛で動けるようにと。。日常の当たり前のことがどれだけ感謝すべきことだったかを教えてくれ、本当に大切なことを教えてくれる。。
私の祖父母は福島県に住んでいる。。ある程度の覚悟とあきらめ。。年老いてからの引っ越しの決意はなかなかできるものではない。。
避難指示は出ていないが、心配ではないと言えば嘘になる。。私が健常者の若者だったなら、祖父母を助け、日々を共に過ごせただろうと思うと、初めて自分が障害者であることを悲しく思えた。。
日々活躍するボランティアの人々には頭が下がる思いだ。。。私には何ができるのだろう。。私ができる唯一の手段を使って出来る事。。それは、やはりこうしてものを書く事で人々に訴えていくしかないのだと、私は改めて覚悟を決めた。。
人間が作り出した、過ぎたるエネルギーのために苦しむ人々に対し、祈りを捧げたい。。
そこで働く人々に感謝の思いを伝えたい。。そして、危険性を知りながら、止める力がなかったことを地球に詫びたい。。
ごめんなさい。。ありがとう。。愛しています。。伝え続ける勇気を私にどうか与えて下さい。。
福島の物を食べ、福島のニュースを見て、私は日常を見直す事を常にしていくだろう。。大きく偏ったことを言ったら修正し、常に中心に戻ってくるよう、日々を繊細に生きよう。。
私だけではなく、友人達と共にそれは日々行われるであろう。そして、その友人達の友人もまたそうすることで、日常の見直しは日本中、そして世界中へと伝わるだろう。
始めるのは自分だ。。ワタシという自分だ。。そこのワタシもあちらのワタシも、皆、始めて下さい。。
そしたら、それらの思いは滴が水に落ちたときのように広がっていくでしょう。。そこには美しい音楽があり、調べとなって世界の大気を震わせるでしょう。。それこそが地球天国です。。
この世を地獄ではなく天国にできるかどうかは、私達の人間性にかかっています。。
自分の欲得と向き合い、人としてどう生きるかを皆が模索し始めれば、世界はそこへ向けて旅だっていくでしょう。。
我(が)をなくすということは、幸せがなくなるのではという不安から解放されることです。
自分ばかり損をするという考えを一度、隣に置いて、本当の幸せに向かって進みませんか?以外と損をしないもんですよ。
試したらやみつきになりますね、きっと!

私がかつて見た山々はどうしているのだろう。。阿武隈の地には赤とんぼが飛び、涼しき鍾乳洞にて地球の歴史を感じ、冷たき海には、それに負けぬ幼子の熱き声達。。
海のほとりの市場たち。。高台から見た、いわきの地形。。私がその田舎に再び行ける日はくるのだろうか。。
まだその地で暮らす人々がいるのだから、きっと私は行けると信じている。。
私はすでに生まれた時に90パーセント死ぬと言われた身だ。。
拾った命、この世に何かの形で返す事ができるならば、私は命をかけてその使命を全うするだろう。。愛を持つ人々と共に
私の血の元である人々が住む、かの地が安らかであらんことを。。。


益々言葉に磨きをかけたルナくん。。。伝えることを使命として降りてきた天使。。これだけの文章を文字盤でたたくのは手足の不自由なルナ君にとってどれだけ大変な事かと、これを一文字一文字タイプしてみて解りました。。。最初は長い文章なので抜粋して書こうかと思ったのですが、これはルナ君の全身全霊の想いが込められているので一言も抜かす事はできない。。と思いました。。

ルナ君が伝えてくれたように、日々自分を中心からぶれないようにし、当たり前のことに感謝し日々繊細に生きようと改めて決意しました。

メッセージその後ルナ君と別れたあと。。ロミさんと小田原に出発。。そこではロミさんの呼びかけで全国から12人の女性が集まり、楽しくユンタクをしたりお食事をしたりしながら、でも真剣にこれからの日本でのコミュニティー創りに関して意見を出し合ったりと、とても建設的で有意義な時間を過ごさせて頂きました。。そしてその合宿の二日目は素晴らしい満月で(写真は参加者のひとりのひろこさんが撮ってくれた実写)皆で深い瞑想をすることができ、地球へ世界へと愛の波動を発信できたと思います。。

ルナ。。月にご縁のある旅でした。。。全てに感謝。。皆様もいまここに生きる繊細な日々をお過ごしください。。



Posted by チャーチャン at 2011年09月16日   10:07